校長室より地頭方小学校を日本一楽しい学校にするぞ
オレンジのトイレマーク
新しい義務教育学校に向けて準備が進んでいる牧之原市です。今は制服について検討がされています。制服はあったほうがいいか。なくてもいいか。どちらでもよしにするか。制服があるとしたら、どんな服がいいか。そのような話し合いをいろんな立場の人たちが集まり、何度も検討しているそうです。牧之原市のいろんな人の考えを集約して決めようとしているようなので、地頭方小学校の子供たちも、アイデアを考えて、牧之原市に提案してみたらいいと思います。そういう授業なんかとても面白いです。
吉田町の吉田中学校は、来年度から制服が変わっていくそうです。中学校でもブレザーにしていきます。男女の違いがなくなっていくとのことです。男はつめえり、女はセーラー服、あるいは男はズボン、女はスカート
。そんな決め事も消えていきます。
さぁて、牧之原市の新しい学校は、どんな考えになっていくでしょうか。
一足早く義務教育学校になり、小学校から中学校までが一つになった県外の学校を視察に行く機会を何度かいただきました。その際に、気づいたのが、トイレのマークです。男子トイレと女子トイレのマークのイメージは、男子トイレは青い色。女子トイレは赤い色。でも、新しい学校のマークは、マークの形こそ変わっていませんが、その色は、みんな同じオレンジ色でした。ぱっと見、どっちのトイレだろうとまようのは慣れていないからです。その学校の子供たちは、だれも迷いません。それだけでなく、男性用トイレ、女性用トイレに加わり、新しいトイレもありました。それが、「だれでもトイレ」です。男女の区別なくみんなが使える共同トイレです。
時代と共に変わっていく考え方。今はちょうど変わろうという動きが活発な時です。古い考え方が残っているけど、新しい考え方をする人も増えてきて、ごちゃまぜになっている時です。そういう変化の時代を生きている子供たちですから、そのごちゃまぜを学ぶことはとても価値があります。今しかできない多様性の学び。先生方には、ぜひとも子供たちと取り組んでほしいなぁと思います。
水分補給から見えるジェネレーション・ギャップ
熱中症が心配される気候が続いていて、校長としてみると、毎日気が気ではありません。気温計を何度も何度も見ています。熱中症にならないためには、水分補給が欠かせません。先生方には、子供たちが時々水分補給ができることをお願いしています。
その水分補給ですが、わたしたちが子供の頃と考え方が変わってきているなぁと思います。わたしたちの世代は、例えば部活動で、練習中にいくらのどが渇いても水分補給をすることはできませんでした。当時は、水分補給するとばてると言われていました。練習がすべて終了してから、争うように水道に行き、水のがぶ飲みでした。あの時の水がこれまでの人生で飲んだどんな水よりもおいしかったです。
小学生のころ、学校に水筒を持っていくということは許可されていませんでした。水筒を持っていくのは、運動会と遠足と、社会科見学のみです。その際の中身にも決まりがありました。「ぬるい水」でした。冷たいものは体を冷やすから健康に悪いと言われていました。ですから、水と一緒に氷を入れることが禁じられていました。普段は水筒を持っていきませんから、外遊びをして帰ってくると、みんな水道に口をつけて水道水をがぶのみしていました。
今は水筒を学校に持っていくことが当たり前です。中身についても、スポーツ飲料も許されていますと、別に水じゃなくても、緑茶でも麦茶でもオッケーです。さすがにジュースはだめです。糖分の取りすぎという心配があるからです。子供たちの水筒の中には、みんな氷が入っています。冷たいものを飲むと体が冷えてよくないという考え方よりも、冷たいものを飲んで熱中症を防ぐという考え方です。運動中は水分補給をしないという考え方も間違っていることが分かり、今はスポーツの指導者も、子供たちにはちゃんと水分補給をさせてくれます。子供が、学校の水道に口をつけてがぶ飲みしている光景を見ることはありません。
「水道の水をがぶ飲みしてたんだよ。」「水分補給できなかったんだよ。」「水筒なんて持っていくのは禁止だったよ。」「水筒の中身はぬるい水だったよ。」こんなことを子供に話をすると、みんなびっくりした顔になります。その顔を見ると、平成・令和時代を生きる世代と、昭和世代の違いを感じます。
保護者の皆さんは、水分補給について、どうでしたか。
傷つけばいい それも経験
子供たちは、失敗をすることで現実を生きていく上で大事なことを学んでいきます。それなのに、子供を教育する立場の大人達が(先生が、親が)そこを見逃し、失敗を極力排除しようと過保護な環境をつくってしまっているのではと思われてなりません。
わたしが先生になった頃、運動会のかけっこで、順番をつけなくなったことが話題になりました。ある学校では、全員が手をつないでゴールをするという変なかけっこをしました。わたしの学校では、子供たちの走る差が極力つかないように、事前にタイムを計って、実力が同じ人同士を走らせるようになっていました。あまりにも遅い子が速い子と一緒に走るとかわいそうだという配慮でした。翌年には、事前に計ったタイムと運動会当日のタイムを比較して、どれだけ伸びたかによって順位を付けたこともありました。トップでゴールした子がなぜか順位ではビリになったという現象もありました。わたしはそれらのやり方が本当にいいのだろうかと疑問でした。足の遅い子が傷つかないようにといった配慮は足の速さ・遅さという現実に存在する実力の差にふたをするようなものではないか。大切なことはそこではなく、足が遅いからといってバカにしたり、引け目を感じたりしないように教育をすることではないだろうか。
地域の伝説を劇にする学校行事の中では、全員が主役を味わえることが求められました。どうして我が子は脇役なのだということを言う保護者のクレーム対応と、主役になれなかった子が傷つかないようにするという配慮だと言われました。
子供を傷付けないマニュアル本が書店に並びました。「子供を傷付けない親の言葉づかい」「子供をポジティブな気持ちにさせる親の接し方」そのような本が何万部も売れて、当時の親はそれを読み、子供には失敗や挫折感を与えない教育観が広がっていきました。わたしたち先生に対しても、「あまり叱らないでほしい。」という声が保護者から多く届きました。わたしたちが子供たちを叱ったときには、「叱らないでってお願いしたのに。」と強く叱られました。
子供たちが傷つかないという配慮によって、はたして若者たちはたくましく成長していったのでしょうか。嫌なことがあっても、思い通りにならないことがあっても、簡単に傷ついてしまわず、前向きにがんばり続けるようになったんでしょうか。その後、数年経って、「心が折れる」「無理」そんな言葉が若者の口からたくさん聞こえるようになりました。子供を傷付けない教育がそうさせてしまったのではないかと感じています。
地頭方小学校で、大事にしている教育とは、子供たちが傷つかないよう過保護な環境にしてしまうのではなく、子供に失敗経験をさせていくということです。失敗を恐れることなく、挑戦すること。それも、先生から与えられたことをするのではなく、自分で考えていくこと。わたしたちは、やり遂げたことよりも、子供たちが自分で考え一歩足を踏み出せたことを評価してきました。失敗をした子はたくさんいます。その失敗も大切な失敗なんだと子供たちに伝え続けてきました。失敗して傷つくことだってものすごく大事です。傷つくという経験をしてほしいです。
地頭方小学校は、子供たちに、たくさん失敗をしてもらいます。失敗から学んでもらいます。失敗から成長してもらいます。