牧之原市立地頭方小学校

〒421-0533
静岡県牧之原市地頭方981
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校長室より地頭方小学校を日本一楽しい学校にするぞ

校長先生の初恋物語 第16話

がんばれとっくん

がんばれとっくん

仲間に入れて いいよ

今日、エサンダ君が、サッカーをしたくてしたくて。でも、友達になかなか言えなくて。
わたしのところに来ました。
「サッカーをみんなとやりたいです。言ってください。」
まだ日本語がたどたどしいエサンダ君にとって「仲間に入れて。」は言いにくかったのでしょう。
わたしが一緒にサッカーをしている五年生のところに行って、エサンダ君と言いました。
「仲間に入れて。」
五年生は、気持ちよく、「いいよ。」
そうすけ君、はるみち君、あいる君、ゆうしん君、いおり君、たける君、かずき君、たいせい君。
ありがとう。

思ってもいないのに言っちゃうこと 思っても言えないこと

大人も子供も同じです。
本当は思ってもいないのに、ついつい言ってしまうことがあります。
本当は好きなのに、嫌いだって言っちゃうこと。子供たちはそういうことがあります。
いつもは仲良くしてくれる友達が、他の誰かと仲良くしていると嫉妬心が出てきてしまって、
「あの子嫌だよね。」ってついつい言っちゃうことあります。
わたしが担任をしたことがある子供の中には、母親から「生まなきゃよかった。」って言われたことを悲しんでいる子もいました。
でも親に聞いてみると、本当にそう思っているわけじゃなくて、いらいらしてついつい言ってしまいましたと反省をしていました。
思ってもいないのに言っちゃうことはだれにでもあることです。

思っても言えないことなんて、しょっちゅうです。生きていると、思っても言えないことだらけです。
相手が怖いから言えないこともありますが、多いのは、その相手が大切だから、大事だから言えない。そんなことがたくさんあります。
思いやりの心がそうさせています。
子供たちは授業中、思っても言えないことをたくさん経験します。勇気が出なくて発表できないのは、まさにそれです。
言葉とは難しい。言葉にするのは難しい。
でも、わたしたちは言葉で生きています。
思ってもいないのに言っちゃって、後悔して、
思っていても言えなくて後悔して、
そんな経験をしながら、人は成長していきます。

遊びとは何か

わたしは、子供とよく遊ぶ先生だったと思います。
「さぁ、みんな、今日はクラスみんなで、ドッジボールをしよう。」
と言って、みんなを外に連れ出して、ドッジボールをすることが普通でした。
いつもは、時間になっても勝敗が決着することはなくて、ぎりぎりまで子供たちと遊びますが、
ある日のこと、早くに決着がついてしまって、まだ時間が余っていることがありました。
すると、ある子が言いました。
「先生、ドッジボールが終わったから、遊んできてもいいですか。」
わたしはその言葉におやっと思いました。もう、ドッジボールをして遊んでいるのに、遊びに行ってもいいですかって、なんだか変な感じ。
その子に、問いました。「もう、ドッジボールで、遊んでるじゃん。」と。
その子は首を振りました。「ドッジボールは、クラスのみんなでやることでしょ。遊んでない。」
なるほど。
子どもってそう考えているんだ。
子供にとっての遊びとは、なんの束縛もなく自由に自分で決められるものなのか。
クラスみんなでドッジボールをやろうというのは、クラスみんなでやらなきゃいけないことになって、それは子供にとって本当の遊びにはなっていないのか。
「遊びの条件」が書かれていました。
①遊び手が楽しいと感じられること
そして、次のことが大事
②外部から強制されたり、拘束されているという感じを持たないこと
そう考えると、学級のみんなが仲良くなりますようにという願いを込めて行う「学級遊び」は、本当の意味での遊びではないのかもしれません。
子供は遊びの天才と言います。その遊びというのは、開放感や自由さが確保されている中で発揮されていくものかもしれません。

校長先生の初恋物語 第15話

とっくんVSあしなが君

とっくんVS足長君

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