校長室より地頭方小学校を日本一楽しい学校にするぞ
激変する時代の中で学校は
ここ10年間の中で世界で起きたことは驚きと混乱の連続です。コロナ・パンデミック、ウクライナ侵攻、中東での戦争。生成AIの進化、子供たちが一人一台端末機器を持ち学習するようになったこと、子供たちがスマートフォンを持つのが当たり前になったこと、ネットゲームで知らない人と一緒にゲームを楽しむようになったこと。ほかにもまだまだあります。それらのことは、何らかの形で私たちの日常を変えています。予想困難なVICAの時代というのは本当です。
変化で言うなら、地上波のテレビ番組を観なくなったという子供の変化を感じます。子供たちと会話している時、「昨日何かテレビ見た?」と質問すると、「テレビは観ない。」という言葉が返ってくることが多くなってきました。じゃあ、何を見ているのかというと、ネットフリックス、YouTube、アマゾン、ティックトックです。テレビを見ない理由は、簡単です。自分が観たいものを観たい時間に観ることができるからです。テレビ局が決めた時間に自分を合わせる必要がないからです。テレビだけではない話です。ほしいものは自分が欲しいと思うタイミングで、お店に行かなくても買える時代です。今の社会は、とても便利で、すべて自分に合わせてくれるのです。動かなくても、苦労しなくても、我慢しなくても、必要なものがやってくるのです。
そのような時代を生きる子供たちにとって、学校はつらい場所になっています。自分から動かないといけません。苦労して覚えること身につけることが次々にやってきます。みんなと一緒に生活をするために、我慢をしなくてはいけないことは山のようにあります。一時間目の授業を自分のタイミングで学ぶこともできません。学校の日課に自分を合わせるのです。これらのことは、学校であるならなんの疑問も持たない普通のことです。その普通のことにどうしても慣れることができない子供たちが年々増えていて、それが右肩上がりの不登校という結果につながっているように思います。
学校が変わらないといけないこともあります。実際、変わってきています。でも、学校であるからできることは大事にしていきたいです。それが「共に生きることを学ぶ」です。人と人が一緒になって、支え合って生きていくということは、これからも変わらないはずです。10年後も、20年後も、人は共に生きていくことで幸せをつかむのです。学校は、友達と出会い、優しくして、優しくされて、けんかして、仲直りして、手を取り合って協力して、笑って、泣いて、ぶつかって、一緒に学んで、そんな共に生きることを学べる場所です。世界がどんなに便利なろうとも、混乱しようとも、学校のすべきことはぶれないでありつづけたいものです。
150周年をしっかりと祝う理由
本年度、地頭方小学校は創立150年となります。(正確には、令和7年が150年ですが。)令和六年が、鈴木梅太郎博士の生誕150年ですので、開校150年も一緒に行うことにしています。このような節目節目の記念の年に、昔は盛大に式典を行っていました。記念誌などもお金をかけていました。記念の石碑なども校内に設置していました。今は時代も変わり、そこまでのことは行っていません。
地頭方小学校は、しっかりとこの記念を祝います。記念誌や石碑はありませんが、ちゃんと祝います。
1つは、端末機器のケースを、子供たち全員に渡します。
地域の皆さんの協力により、ライフジャケットをそろえたいというのもそうです。
11月には、25年前に小学生だったお父さんやお母さんたちが、タイムカプセルをほります。
12月には、「150年記念梅っ子フェスティバル(仮)」を行います。
このように、うれしいこと、楽しいこと一杯の計画です。
こんなにいろいろと取り組むなんて、今の時代に合わないのではないかと思われるかもしれませんが、わたしは意味があると思います。多くの地域の皆さんと、お話をさせていただき地頭方小学校がどれだけ地域の方から愛されているかが分かりました。150年は、地域の皆さんにとっても誇りなのです。約10年後、地頭方小学校はなくなることが決まっています。惜しむ声が多いのも当然です。でも、少子化に歯止めがかからないという現実、いつ来てもおかしくない南海トラフ地震、そのようなことを考えていくと、仕方ないことです。地域の皆さんと、学校再編を受け入れ、残された地頭方小学校の10年間を輝かせて行こうという気持ちになるために、150年のお祝いをしっかり行いたいと思うのです。
それ以上に、大事なことがあります。それは、子供たちにとって必要だからやるのです。この子たちが大人になる10年後、地頭方小学校がなくなります。でも、この場所に地頭方小学校があり、そこで学んだという記憶はずっと残ります。校舎はなくなっても、母校を思う気持ちは永遠であってほしいです。地頭方小学校の伝統・文化をいつまでも大切にし、そこで学んだことを次の世代に継承し、自分たちも、新しい伝統や文化を創造していくのだという意欲を育むために、150年をしっかりと祝うのです。
地頭方の皆さん。保護者の皆さん。子供たち。先生方。みんなで特別な一年を創っていきましょう。
9割と9割
国立教育政策研究所が、小中学生を対象に六年間のいじめに関する経験回数を調査した結果があります。その調査によると、
仲間外れ、無視、陰口をしたことがある子の割合は、9割。
されたことがある割合は9割。
つまり、ほとんどの子が、いじめをしたことがあるし、いじめられたことがあるという結果です。
9割といったら、ほとんどの子です。
いじめがないという学校は存在しません。いじめはどうしても起きてしまいます。子供たちが集団で生活していたら、子供同士の中でトラブルはあるし、トラブルがあった相手を一定期間無視しようとするし、自分だけでなく誰かも巻き込みながら「あの子嫌だねえ。」とやってしまうし、そんな話をされるとその気もないのに「そうだよねぇ。」と話を合わせてしまいます。そのような世界が、子供の中には必ずあることです。
ある子がふれたものを「菌」のようなあつかいをして、「〇〇菌ごっこ」ということを子供がすることがあります。わたしたちが子供のころからありました。それは、〇〇菌あつかいされた子の気持ちは考えられず、子供たちに聞くと口をそろえます。「遊びの1つだった。」と。「いじめとは思わなかった。」と言います。
でも、分かっているのです。本当は分かっています。その遊びは人を傷つける遊びなんだと。分かっていても友達がやっていてその輪に入っていないと不安になるという心理から、やってしまうことが多いです。その心理は、保護者の皆さんだってわかるはずです。あのころ、わたしたちはそのような行動をしてしまって、先生や親から叱られました。大人から怒られて、反省して、〇〇菌あつかいしてしまった友達に「ごめんなさい。」をしてきました。
わたしたちは、教えなくてはいけません。わたしたちの役目がまわってきました。「それは遊びではなく、いじめです。」と、伝えなきゃいけません。子供たちは自分たちでは気づけなかったり、気づいていても友達に合わせてしまったりすることがあります。わたしたちが子供の時と同じです。そんな子供たちに、「いじめになる。だめなものはだめ。人の気持ちを考えてみる。どんな理由があっても、人を傷つけることはしてはいけない。」と、しっかり伝えていくこと。その役目が、先生の仕事であり、親の仕事です。
自分の子が、9割の中に含まれていないと考えない方がいいです。自分の子にも関係していることです。「いじめをなくそう。」という目標をかなえることは難しいことですが、先生も、親も力強く発信し続けていかないと、本当にひどいいじめに苦しみ悩む子を生み出してしまいます。